洛陽三月花如錦

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2020/08/02 (Sun) 10:02:18

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2020/07/05 (Sun) 22:46:23

あ~…前回の更新のあと、ちょっと脱力しちゃって(汗)。今回は、応仁記部屋にちょっとおまけだけ追加です。
このエピソードは、もともと勝元17-18歳くらいのつもりで書いてたのですが、ビジュアルイメージの基にしている「新九郎、奔る!」で、26歳勝元がまだ生やしてなかった!というので、じゃあいい機会だしここらへんでこの話ぶち込んでみる?となりました(笑)。本来は大人になることへの戸惑いみたいなにしてたのが、義政との関係について語るになっちゃって…ただ正直、義政については、まだまだ勉強不足、なのですが、いろいろ調べるほどに、この人、いろいろ…まぁ、大体、こんな路線で行くつもり(笑)。

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2020/06/06 (Sat) 09:59:41

そんなんで、応仁記部屋に一本追加。

あーとうとう、仕上げちゃいました、この話…実はこれ、この二人に関して最初に書き始めた話なんですよね(笑)。フォロイーさんとLINEで話してた妄想をそのまま書き留めた、みたいなやつ。ただなんというか、まさにこの二人の関係性のオチみたいな話なので、一旦これは放置して、馴れ初めから始めて…と今までやってきましたが、まぁ今回、そろそろこれを仕上げてしまうかと…まぁ、この文明四年の和睦交渉については実際行われたんかどうなんか?という疑問もあるようですがそれはおいといて(笑)。そう、最後ここに落ち着かせるつもりで、今まで書いてきたし、これからも書くと思う(笑)。
聡明丸ちゃん=政元は、初書き。というか、彼のことはまだ全然よくわかってなくて、個性みたいなもののない傍観者の扱いですが(汗)。ただ、この乱における人間関係が、その後の彼の行動に、多少なりとも、影を落としてる?といいなぁ、などと妄想(汗)。


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2020/05/02 (Sat) 21:54:00

そんなんで、応仁記部屋に一本追加。
…細川持常さんの死をきっかけにした、ちょっとした会話の一幕ですが、まぁ、書いてるうちに、いろいろフラグをおったてることになってしまい、書いてて楽しかった(笑)。
以前、勝元が畠山持国のことを呼ぶ時は「大和守」にしましたけど、今回持常については「讃州」にしました。なんとなく、身内である持常と、年長で心理的距離感がある持国との差。
まぁ、それより今回困ったのは、赤松則尚ですね(汗)。官位がわかんないし、でも諱呼ばわりもどうかな?というので「彦五郎」呼ばわりにしてしまいましたが、まぁそのへんは適当なので、あまり気にしないように(汗)。

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2020/04/05 (Sun) 11:05:26

そんなんで、応仁記部屋にむちゃ短いけど一本追加。
前回、持豊但馬蟄居中の話を書いて、あーあと少しで「宗全」なのに面倒臭いな…となった挙句、その改名について書きだしてみたら、「宗全」も「持豊」も使えないのでむっちゃ面倒臭かった(笑)。まぁ徹底して勝元視点で書いたしいいのだけど。ついでに、宗全の入道について妄想してたネタをいろいろつめこみました(笑)。
尚、本当は子供やった勝元は知らんかっただけで、その頃持豊二人目の奥さん亡くしてたとかそんなんでもいいかと思う。流行病か、政豊を宗全の子とするなら産褥死もありかな?とか。
しかし、こうして流行病の渦中にいると、まぁ、この二人の死も流行病やろな…とよくわかりますね、同年イセイセ殿も死んでるし。いや、笑いごとやないんですけどね(汗)。

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2020/03/02 (Mon) 22:22:01

そんなんでまた、応仁記部屋に一件追加。
あー、ようやっと、大人勝元、書けました(笑)。…といっても、ちょうど「新九郎奔る」三巻のおまけ漫画で出てきたくらい、という若さですが。
いやぁ、このころ、宗全が4年近く但馬に蟄居していたと知って、その間、一度くらい勝元が会いに行ったことにできないかな、でもずっと都で忙しくしてるようならそれも無理だしな…などと思いつつ、大日本史料を漁ってたら!康正元年十月十三日に、勝元が伊勢神宮に出かけたという記事があるじゃないですか!しかもその後、26日まで幕府に特に動きなし?京から伊勢詣往復で7日かかるらしいけど、13日あれば十分寄り道できない?というのでまぁ、飛びつきましたね(笑)。ので、でっちあげたのが、今回の話です。元凶となった、義政も存在感をちらつかせつつ、畠山持国の話もついでに盛り込んで…そして相変わらず悩むのが、宗全の地の文での呼び方(笑)。人物叢書には「宗全」と名乗ったのは長禄年間からと書いてあったから、この時はぎりぎりまだ「宗峰」かな?と思い、今回はまだ従来通りの「持豊」でいきました。「宗峰」はどうも馴染みないんで、使う気しなくて…なんしょ、ころころ名前、変えないでほしいですね(笑)。

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2020/02/02 (Sun) 22:41:12

そんなんでまた、応仁記部屋に一件追加~。

刻んだ!…なんかしらんけど、余計なとこでえらく刻んできました(汗)。
いやぁ、この二人はまだまだ、後が長い(20年もある!)んだから、最初の五年間を、こんな刻まなくても…と思うのですが、なんというか、この辺の話がやっぱり書きやすくてねぇ(笑)。というか、14歳で婚約-18歳で婚礼設定にしちゃったのですが、まぁ婚礼が延びた最初のきっかけを、一応書いておくかなぁ、と。義勝…惜しいなぁ(泣)。で、このあと禁闕の変でもう一回延びて、その後ずるずるしちゃう感じ、です(笑)。

あけましておめでとうございます。 - ぼけなす URL

2020/01/04 (Sat) 10:56:57

あけましておめでとうございます!このサイトも、移転前の開設から、はや11年…昨年は新ジャンルもオープンして、細々と楽しくやっております(笑)。

そんなんで、今年一発目の更新は、去年に引き続き、応仁記部屋で。よーやく、というか、無理やり、結婚まで漕ぎつけました(笑)。婚礼そのものはしきたりがわからないので、強引に飛ばしましたが(笑)。結構、初夜が終わるのを両家の親が隣の部屋で待ってるみたいな話も聞いたりするのですが、持豊と持賢叔父上が顔つき合わせて待ってるのを想像すると、こう、クるものがあるのですが(笑)。

あと、前回UPしたお話にも、おまけを追加しておきました。こう、細々と、応仁の乱フラグを、立てていきたい、次第であります(笑)。

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2019/12/01 (Sun) 21:37:38

そんなんでまた、応仁記部屋に一件追加~。
…なんかまた、ショタ勝元モノ、でも、ようやっと、管領になりました!
いや、いろいろ調べてて、勝元が管領に就任した時には持豊は赤松満政討伐に行ってたんだ?というので、その辺をネタにしたくなって…というか、このへん、時間の流れに沿って、なんとかちゃんと勝元が婚礼をあげるところまで書きたい、のですが、なかなか道のりは遠い…まぁ、ぼつぼつ、やっていきます(汗)。

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2019/11/03 (Sun) 11:42:04

そんなんで、サイト移転後、一周年。今後も、細々、やっていきますね~。
そんなんでまた、応仁記部屋に一件追加。舞台はまたショタ勝元期に、戻りまして(汗)。
勝元の婚礼については、14歳説と18歳説と両方ある?みたいで、両方の説のいろいろ読んだ挙句、14で縁組は決まってたけどいろいろあって18まで婚礼が延引していたことにしてしまっては?などと思いつき、その設定で行こうかと。というので、今回書きたかったのは、その経緯、なのですが、途中でいろいろ迷ったので、つぎはぎみたいな文章になってしまい…何卒ご容赦の程を。
…あと、何気に逢瀬の場所を細川邸に移す経緯が書きたかった(笑)。このままあと20年、ここでの逢瀬が中心となる、かな~と(笑)。


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